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「女性向けの枠を超えた」という言葉は必要か?

とある乙女ゲームのレビューをふと見た時に、乙女ゲームの枠を超えている」「女性向けの枠に留まらない」とかいう言い回しを嫌になるほど見かけました。これは褒め言葉のつもりなのでしょうか?

※この記事は2020年に書いたものです。


おそらく言っている方は評価しているつもりなのでしょうが、こういった発言は、いち乙女ゲーム愛好家として非常に残念に思います。否、憤りを感じます。

その”枠”とやらを超えた先にあるものとはなんなのでしょうか?
乙女ゲーム」ではない、「女性向け」にとどまらない→「一般向けのゲーム」である……ということなのでしょうが、ここでいう”一般”とはつまり誰なのでしょうか? 普段「女性向け」に触れない人ですか? 男性ですか?(男性にもプレイして欲しい、というのもよく見かけます)


「女性向け」を好む人というのは”一般”より格下の存在なのでしょうか?

 

※そもそも「乙女ゲーム」というのは「主に女性をターゲットとした恋愛シミュレーション」がある程度普及した後に作られた言葉です。乙女とはなんなのか。ジャンル名自体が色々なものを取りこぼしている単語である点も留意すべきでしょう。

こういった現象は「乙女ゲーム」に限らず、少女漫画、BLなど、(主に女性をターゲットにした)いわゆる”一般向け”から外れているとされるメディアへの評価においてよく見られます。女性向けを「発見」した外野から言われることもあれば、メインの消費者である女性たちが自分らを(おそらく自覚なしに)卑下して言うこともあります。

どんなジャンルにもいい作品はあります。勧めたくなる気持ちも褒めたくなる気持ちもわかります。しかし何故こうもジャンルそのものを貶めるような言い方になるのでしょうか。こういうのはいい加減にして欲しいものです。

言うまでもありませんが、根っこにあるのはミソジニーです。おわり。