それがしブログ

ゲームと美少年と姉弟と草の根人権活動

友人を友人と思えなくなった話

これはとりとめのない、しかし少なくとも私にとっては重要な話です。

つい先日、10年くらい付き合いのあった友人が、友人ではなくなりました。

 

過去記事などからもわかると思いますが、自分は社交的な性格の持ち主ではありませんから、元々友人と呼べる存在は少ないのです。そのうちの一人を失ったということには少なからずショックを受けました。というか今も受けています。しばらく立ち直れそうにありません。

 

友人の定義とはなんでしょうか。一緒に遊べる人? 趣味や話が合う人?

人によってそれぞれ異なるでしょうが、自分の場合、友人には、趣味の合致を求めません。価値観の相違もあって当たり前だと考えています。

ただ一つ求めるのは、「真面目な話を真面目にできる相手であること」です。

自分の対人能力(”コミュニケーション能力”とは言いたくない)の無さに付き合える人はそうそういないですし、こんな自分に付き合ってくれる人は優しいなあとついつい思ってしまいますが、人権問題への認識に関しては絶対に譲れないのです。

当然自分が全て正しいわけはありませんし、改めなくてはと反省することもしょっちゅうです。しかしながら、ただ知らないだけならまだしも、言葉を尽くして伝えても「自分には関係ない」という態度をとられたら、もう関係をおしまいにするしか道はなくなります。

 

 

この記事はゲーム業界全体への問題提起として書いたものなので、元仕事仲間の数人にも読ませました。しかし、悲しいことに反応は芳しくありませんでした(多分読まないで放置した人もいるでしょう)。

 

ここで触れた、私に「総理大臣になって云々」と言いのけたボケナスとは元友人のことだったのですが、読ませたあとに「普段考えてこなかった問題について知れた」だとか言い出したので、どうやら全く覚えていないようです。この手紙で挙げた会社の人々に対してのみ「こんなに酷かったんだ」という反応を示しました。

いや、他人事か? レイシャルハラスメントの加害者としての当事者意識が、まるで、ない!!

まあ、悲しいことによくあることなのですが。だからといって許せるかというと話は別です。

これがただの素人ならまだ良かったかもしれませんが、元友人は現役のクリエイター(適切な表現かは不明ですが便宜上それとします)です。知らないことを良しとするばかりか、「楽しいことだけしていたい」などと言うことは到底許容できるものではありません。以前にも耐えかねて真面目な話をしたことがありましたが、その時も「難しいことはよくわからない」という反応をされました。その時にもっと追求するべきだったのでしょうか……友人とは……なんだろう……

 

なるべく気にしないようにしてきたもの、思い返すとおかしな点は色々あったのです。それを見逃してきたツケがここにきて回ってきたのでしょう。本人も表現する者として責任のある立場なんだから、こちらから説明する義務はないしっていうか自分で調べろよ何のつもりだよと思うのですが、親しくしてきた間柄の人間として多少の責任は感じます。

 

人権の問題を「よくわからない」と言ってしまう人、「楽しいことしか見たくない」人が、現在の日本のコンテンツを作ってるんですよ。いい証左になれて良かったですね。よくねえよ。まあこれがいわゆる「右でも左でもない普通のシスヘテロ日本人」なのでしょうね。クソくらえでございまーす。

 

近しかった人がこんな量産型で、それがしはちょっと(どころではなく)疲れました。