それがしブログ

ゲームと美少年と姉弟と草の根人権活動

なぜ”NL”を用いるべきでないのか

 

異性同士のカップリングを”NL”(あるいは”ノマカプ”、もっと縮めて”ノマ”とも)と表現する人たちが未だに多くいます。この問題は何度も繰り返し指摘されてきたにも関わらず、状況はあまり変わっていないように思われます。

 

大前提として、”NL”は使うべきではありません。 以下は「この問題の所在はどこにあるのか」を明らかにするために書いたものです。

 

 

①なぜ”NL”と表記することがいけないのか

”NL”とは「ノーマルラブ」の略称です。あるカテゴリを「ノーマル=普通」と括ることは、それ以外を「アブノーマル=異常」という枠に押し込めることに他なりません。

異性愛以外を「アブノーマル」とすることは、言うまでもなく差別にあたります。ここにおいて現実とフィクションの間に差はありません。セクシャルマイノリティの存在はフィクションではありませんし、人間が扱う言葉である以上、口にした者の考えがそのまま表れるからです。

よって、”NL”という表現を用いることは、マジョリティである異性愛者以外を、セクシャルマイノリティを差別しているということになります。

差別は(オタクが使いがちな大袈裟な表現ではなく)人を殺します。また、差別とは社会構造の問題であり、「特定の誰かが嫌がるからダメ」という単純なものではありません。仮に「気にしない」というセクシャルマイノリティ当事者がいたとしても、差別用語を使い続けていい理由にはならないのです。

 

②なぜ指摘されても使い続けるのか

冒頭でも触れた通り、この問題は何度も指摘され続けてきました。それにも関わらず、頑なに表記を変えようとしない人々が多数を占めています。これには以下の理由が考えられます。

 

⒈差別と認めたくないから

人は自分が差別をしていると指摘された時、素直に認めることは難しいものです。そのため、明後日な理屈を持ち出して自己弁護する場合があります。「これは差別ではなく区別だ」などという言葉は差別者の常套句です。

「NはノンケのNだ」というのもこれと同様の詭弁です。そもそも”ノンケ”という単語自体、本来はマイノリティ側が扱う言葉であって、異性同士のカップリングを表現するにあたって用いるべきではありません。

2.異性愛こそが「正しい」と思っているから

異性愛規範と同性愛嫌悪に囚われているパターンです。「そんなこと言ったってこっちが”正しい”でしょう」と思い込んでいる人は決して少なくありません。何が問題なのかさっぱりわかっていないからこそ無邪気に使い続けます。差別主義者か、差別主義者一歩手前です。残念ながらこれに対しては間違っていると言い続けるしかありません。

3.これまで使ってきたものを手放したくないから

「この表記が浸透しているから」という理由で使い続けている人もいます。これはただの怠慢です。問題を認識していながら使い続けているなら尚更です。手放すべき時に手放さなければ事態は何も変わりません。多くの言葉は時代の流れによって変化してきました。”NL”も例外ではないというだけの話です。

 

③代替案として挙げられるもの

では、異性同士のカップリングについてどう表記するのが良いのでしょうか。これまで多くの人々によっていくつかの案が挙げられてきました。

”HL(ヘテロラブ)”、”BG”、”男女カプ”等がこれにあたります。

既にどれもそれなりに浸透してきています。どれが良いというものではありません。自分の使いたいもの、自分の表現に合っていると感じるものを使えばいいのではないでしょうか。もっといい言葉があると感じるなら、作っても良いでしょう。

 

④おわりに

繰り返しますが、いずれにしても、”NL”という言葉はもはや使うべきではありません。
また、これはBL好き・GL好きとHL好きとの間に起きた対立から生じた話ではありません。誰もがこれからは差別用語を使わないようにしようという、ただそれだけのシンプルな話です。