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差別問題を扱ったゲームの話①〜テイルズオブシリーズに見る創意工夫〜

先日こんなアンケートをとりました。

 

 

同票一位だったのですが、とりあえず書きやすい方からということで、差別問題について扱っているゲームの話をしたいと思います。

いくつか思い当たるので、複数回記事を書くことになりそうです。今回は良い例としてテイルズオブシリーズエターニアを中心に取り上げます。

 

テイルズオブシリーズバンダイナムコエンターテインメント(旧ナムコ)発の人気RPGシリーズで、初代のファンタジアが出た頃はオープニングで歌が流れるゲームとして話題になったそうです。シリーズごとにバトルシステムが大きく変更されるのが特徴ですが、基本的には方向キーやアナログスティックでキャラを操作し、簡単なコマンド入力によって技や魔法を発動するなどのスタイルは変わらないようです。人気イラストレーターによるキャラクターデザイン、豪華声優陣によるボイスや美麗なアニメムービーシーンも魅力で、一時期はミリオンセラーとなる大人気シリーズでもありました。

 

さて、そのテイルズオブシリーズですが、もともと異なる種族や人種が登場するタイトルが多いのも特徴のひとつです。中でもエターニア、リバースの2タイトルは人種間、種族間の差別問題が大きな主題となっているといえるでしょう。

 

今回は個人的に思い入れの強いエターニアの話を中心にします。

エターニアの舞台には、インフェリアとセレスティアという二つの異なる世界が存在します。普段は空の向こう側にうっすらとその存在が確認できるだけで、互いに干渉し合うことはありませんでした。

しかし、物語はセレスティアから不思議な乗り物に乗って女の子・メルディが落ちてくることから大きく動き出します(余談ですが、いわゆる「空から女の子が!」系の導入でありながら、主人公と結ばれるわけではないというのは珍しいパターンかもしれません)。言葉も通じず(セレスティア人はメルニクス語という独自言語を用います)意思疎通が難しいメルディを相手に主人公リッドは戸惑いますが、幼馴染で正義感が強いファラは彼女を助けてあげようと提案します。

しかし、メルディを追ってやってきた謎の男によって、リッドたちの村は荒らされ、大きな被害を出してしまいます。村人たちはメルディのせいだと責め立て、彼女をかばうリッドたちは村を追い出されることになります。こうしてリッドたちはメルディを助けるために旅に出ることになるのです。

 

リッドたちが最初に助けを求めたのはキールという幼馴染でした。キールは最高学府であるミンツ大学の学士として研究しており、メルニクス語にもある程度精通しています。リッドたちは「頭の良い彼ならなんとかしてくれるかも」と期待します。

しかしながら、キールはメルディと出会うなり酷い暴言を吐きます。セレスティア人は知性のない野蛮人であり、危険だという偏見がインフェリアには根づいており、彼はその差別感情を完全に内面化しているキャラクターとして登場するのです。

 

なお、キールキールで別の問題を抱えていました。彼の研究は、セレスティアとインフェリアの境界に謎の黒点が発生しており、これが二つの世界に大きな災害をもたらすのではないかという危険を示唆するものでした(偶然にも、メルディがセレスティアからインフェリアにやってきた目的と一致していました)。しかし、この研究はどうやら国にとって都合が悪いものであったらしく、結果はもみ消され、彼は異端児扱いされて孤立していました。

これは正確にはドラマCDのセリフですが、大学の学長とキールのやりとりにこんなものがありました。

 

「我が学術の友キール・ツァイベル。学問とは何か」

「知識です」

「そうではない」

 

学長が言うには、学問とは国家のために利用されるべきものであり、純粋な知識や技術向上のために使われるというような甘い考えは捨て去るべきだというのです。

学問が正しく学問として扱われることは稀であり、国家によって如何様にも都合よく利用、操作されてしまうということを明確に描いているエンタメ作品というのは自分にとってかなりセンセーショナルで、子供の頃に聴いたセリフでありながら今も鮮明に思い出せるほど印象に残っています。 

余談ですがこのドラマCDはかなり出来が良く、ゲーム本編では描ききれなかったサブキャラクターたちの魅力がたっぷり詰まっていて、個人的に非常におすすめしたい逸品です。特に作中で超重要人物であるはずのレイス、および彼の親友であるロエンは重要度に反して出番が少なくてもったいなかったので、機会があれば是非CDで補完していただきたい。あれを聞いたか聞いていないかで印象が全然違うので! 入手手段がかなり限られますが……

 

インフェリアは非常に封建的な世界として描かれています。身分によって定められたチョーカーを身につけることを義務付けられている(これはキャラクターデザインにも取り入れられており、漁師のリッドは木製の茶色、農民のファラは布製の赤など)など、権威を絶対的なものとしてしおり、逆らうことは大きな罪とされます。実際に、王都に直談判しにいったリッドたちが危うく殺されかける場面がありました。

 

話を戻して、リッドたちの旅についてですが……彼らは様々な過程を経て、セレスティアにたどり着きます。実際のセレスティアは実力主義で争いが絶えない、決して平和とは言い切れない社会ではありますが、技術的にはインフェリアよりもかなり発展しています。そこに住む人々はキールをはじめとしたインフェリア人が想像するような野蛮人などでありませんでした。身分制度もないため、目下のものを見下すようなことはありません。人々はそれぞれの個性に従って生きているのです。

それを目の当たりにし、知識豊かなセレスティア人たちと交流したキールは、それまでの自分の思い込みや行いを恥じ、メルディに謝罪したうえで、改めて彼女の力になることを誓います。知らないからといって勝手に決め付けて差別している状態から、真実を知ることで反省して考えを改め、心から謝罪し、真に相手と心を通わせるようになる……という過程をここまで丁寧に描いている作品は稀有なのではないでしょうか。

物語の結末として、本来別の星であったインフェリアとセレスティアは完全に分離してそれぞれの世界へ戻ることになるのですが、キールは最終的にセレスティアで生きることを選びます。初登場時の露骨な態度がごまかしがきかないほど最悪な分、じっくりと変化を描写される機会を与えられたキールは、結果的にとても魅力的なキャラクターになっていたと思います。

 

人種間や身分差別以外にも、人が軽視しがちな問題について扱っていたのもなかなか印象的でした。リッドが力を手に入れるために受ける「試練」と呼ばれる儀式では、リッドが自分以外の存在になってその生を体験する、ということが行われます。

特に最初の試練はプレイヤーに強いインパクトを与えるものでした。それは猟師としてリッドが狩ったモンスターの姿になり、自分自身に狩られるまでの過程を経験するというものです。そのモンスターは、自分の子供を守るために必死に抵抗していたのです。そんな事情をを知るよしもないリッドは、特に何の感慨もなく、好物の肉としてモンスターを狩ったのです。それを自分自身で体験するというのはかなりショッキングです。

そのほか、子供の頃に仲良く遊んでいたつもりだったキールが、ひ弱だった自分にどんな鬱屈した思いを抱えていたかを身を以て知ったり、ラスボスであるシゼル(メルディの母親)がいかに波乱に満ちた人生を生き、苦渋の果てに今に至ったかを知ることになります。

猟師として殺さなければいけない相手だとしても、相性が悪くて今は仲が悪い相手だとしても、敵対する相手だったとしても、かれらにはかれらの事情とそうなるに至った過程があり、かれらの生は本来尊重すべきものであるということを一貫して描いていました。

リッドはその体験をすることで大きく変わるわけではありませんが、知る機会を得ることが得難いものであり、大きな意味のあるものであったからこそ、それは「試練」として成り立つものであったのではないかと、一プレイヤーである私は考えます。

 

発売された時期もあってジェンター観などかなり古臭いところがありますし(ただし女性キャラの露出という点では満点さしあげたいレベルです)、私が気にならなかっただけで不十分な点はきっと多々あるでしょう。しかし上記の点から差別、社会問題に対して真摯に扱った作品ではあると言えるのではないかと考えています。

物語としてもゲームとしてもかなり面白いので、機会があったら是非やってみてください。今やれる方法としてはPSP版か、PS版をPS3で読み込むとかかな? 個人的にはシナリオ的にもバトル的にも、メインキャラクターを4人に絞ったことでうまくまとまった好例ではないかなーと思います。

 

エターニアの話が長くなってしまいましたが、最後に少しだけリバースについて。

これはヒューマとガジュマという、二つの種族間で起きる対立を描いている、わりと直接的に差別問題をテーマとしているタイトルです。いかんせんゲーム全体の作りが地味なのと、雰囲気の暗さからいまいち目立たないタイトルとして扱われがちですが、決して雑な作りなどではなく、多少なりとも差別問題に関心がある人ならば絶対に胸を打たれる箇所があると思います。

リバースが特別好きではないプレイヤーからも評価の高いシーンとして、断頭台にかけられたヒロイン・クレアの演説というものがあります。クレアは自分がそんな死の危機に瀕しながらも、種族間で争うことがいかに無意味で悲しいことか、種族が違っても自分たちは同じヒトであるということを人々に真摯に語りかけます。

 

「ピーチパイをおいしいと思う心に、種族はありますか?」

 

このセリフは今でも十分に通用する名台詞です。私は思い返すだけで涙が出ます。

 

ゲームはエンタテインメントです。遊びです。楽しいものです。

しかし、そこから得るものがないわけではありません。そこで感動した気持ちは、絶対に嘘ではありません。心が動いたものに影響を受けないわけはありません。何か思うところがあったのなら、それは決して「遠い世界の他人事」なんかではないのです。このシーンに感動した人がそんなに多かったというのなら、是非今一度その意味について改めて考えて欲しいと強く思います。

 

以上、長くなりましたがテイルズオブシリーズのお話でした。