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「BLは隠れるべき」という呪い

「“腐”は隠れろ」

BLを愛好する人々が何度も浴びせられてきた言葉です。先に述べておきますが、このような考えは不当です。早急に捨て去るべき呪いの言葉と言えるでしょう。

何故この謎のルールが強要されてきたのか? 実際の発言者は多様なのですが、ここではBLを愛する同志であるはずのフジョシ(BLファンの総称として、この記事ではフジョシを採用します)の間で口にされる場合を中心に、どのような理由が考えられるのか、またそれによってどのような問題が生じるのかについて書いていきたいと思います。

 

 

①「叩かれる」から「自重」する?

第一に考えられる理由は「BL趣味を表に出すと叩かれるから」です。これは(少なくとも今のところは)実際にその通りで、多くの人が目にする場所でBLの話をすると「“腐女子”うざい」「気持ち悪いからやめろ」などと言われます。

BLを好む人らは、このような心ない声によって長い間傷つけられてきました。その経験から、「叩かれること」を未然に防ぐため、「人目がある所ではBLの話をしてはいけない」という暗黙のルールがフジョシの間でできていったと思われます。

 

ミソジニー(女性蔑視)による排除

そもそも、何故叩かれるのでしょうか。いわゆるオタクが集まる場でも、BLを好む者とみなされるや否や排除の対象となります。動画サイトや、ソーシャルゲーム攻略wikiのコメント欄などを見ればすぐにでもその様子を確認できるでしょう。しかし、これに関して言えば、例えBL好きであることを表明しなくても(実際に発言した人が何者であるかに関わらず)女性とみなされるだけでそういった結果に繋がりやすいのです。

原因は明白で、この社会に根ざしているミソジニーによるものです。男性中心社会はオタクであっても例外ではなく、「女性」や「女性が好むとされるもの」は下に見られ、「叩いていいもの」として扱われがちです。こういった抑圧・攻撃により、フジョシ(実際にそうでなくても女性のオタクはフジョシと認識されやすい)は表立って発言することが困難な状況となっています。

 

③ファンダム内のホモフォビア(同性愛嫌悪)

では、「女性が好むとされるもの」が中心の場ではBLは排斥されないのか? 答えはNOです。SNSで女性ファンが中心となっているファンダムを見ればわかるように、BLの扱いは明らかに他と異なります。同じ二次創作であっても、HL(ヘテロラブ、異性愛)は何の注釈もなしに公開することができますが、BLは「※腐向け」といった注意書きを伴って公開するか、あるいはクローズドなサービスでのみ見られるように「配慮」することが求められます。

両者の扱いの差は何なのかというと、端的にいって、異性愛規範とホモフォビアからくる差別です。キャラクターの恋愛模様を描く場合、異性同士であれば何も言われないのに対して、同性同士であれば「性的指向を捻じ曲げている」と言われます。セクシャリティを明言しない限り異性愛者とみなされる──現実社会における異性愛規範がそのまま反映されているわけです。

それではGL(女性向けとされるジャンルでは少数派ではあります)はどうなのかというと、やや矛盾しているのですが、こちらはあまり「配慮」を必要とされません。これは「女性、女性キャラクターの消費」が男性中心社会でのメインストリームであることが理由と思われます。つまり、BLにのみ求められる過剰な「配慮」の要因とは、ミソジニーホモフォビアの両方であると言えるでしょう。

 

④BL=エロではない

BLを隠すべきであると言われる原因の一つに、「BLは18禁だから」という誤解があるようです。自明のことではありますが、異性愛表現=エロではないように、同性愛表現=エロではありません。BLが即ち性的──子どもに見せてはいけないものと認識しているのであれば、それは同性愛に対する偏見、差別に他なりません。そうであれば認識を改めるべきです。

性的な表現が含まれるなら、当然ながらゾーニングした方がいいでしょう。それは本来の意味で見る側への「配慮」が必要なものです。BL・GL・HLのいずれもゾーニングすべきなのであって、BLにのみこれを求めるのは誤りです。

 

⑤当事者不在の消費活動なのか?

異性愛女性であるフジョシがBL──つまり同性愛男性同士の恋愛ものを消費することは、マジョリティ(社会的多数者)がマイノリティ(社会的少数者)の物語を一方的に消費することであり、それこそ差別的、簒奪であるという意見もみられるようです。

そのような側面が絶対にないとは言い切れません。過去にそういった視点からの批判、論争もあったようです。しかしながら、必ずしもそうではないのもまた事実です。マイノリティの尊厳を傷つけるような表現であれば当然批判されるべきですが、そうでないならば、恋愛ものの一種として見てよいはずです。現実の同性愛と異性愛が等しく尊重されるべきであるように、本来、同性愛表現と異性愛表現は等価値であり、特別な意味づけをする必要はないのです(例によってあまり批判の対象になりませんが、GLもまた然りです)。

なお、社会の大多数がそうであるように、フジョシの大半が異性愛者かつ女性であるからといって、全員がそうであるわけではありません。BLを愛好するのは女性だけではありませんし、セクシャルマイノリティLGBT、LGBTQ+等とも表記されます)はそれほど珍しくありません。これは筆者も同様です。BLを異端視すること、隠れるよう求めることは、現実にいるセクシャルマイノリティの存在を無視することになりかねないのです。

 

⑥おわりに

最後に、いわゆる「ナマモノ」、実在する人間を対象とした表現について少しだけ触れます。まず、他人のセクシュアリティについて言及することは人権侵害にあたる可能性があるということを念頭におく必要があります(あくまで実在する人間の話であり、その人が演じている役の場合は当てはまりません)。本人が了承している、あるいは積極的にそういったアピールをしている場合はまた別ですが、そうでないのならば、できるかぎり人目に触れない努力をした方が無難かと思われます(※個人的には、セクハラにあたらない程度であれば許容される場合もあるとは考えています)。これはBL・GL・HLのいずれにも言えることです。本来ならば、週刊誌の熱愛報道などもやるべきではないのです。

 

以上です。

「“腐”は隠れるべき」とは差別と規範、現代社会では通用し得ない古い価値観のもとに作られた呪いの言葉です。フジョシはいつまでもこの言葉に縛られる必要はありません。